6.若い人のための自分史

若い人のためのエンディングノート エンディングノートとは
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今までに書いてきたことは、主に高齢者(60代以降ですかね)を対象にした内容です。
 エンディングノートという言葉自体がなにか、人生の終焉を迎えるためのものというニュアンスを感じるのは確かです。
 (もともと終活のためのノートとしてスタートしてますから当然と言えばとうぜんですが)

エンディングノート=自分史という位置づけ

既にすこし触れましたが、私はエンディングノートは何も高齢者のためだけのものとは思っていません。

何故そう思ったかというと、エンディングノートの見本を作っている最中にエンディングノートは人生の最後の身辺整理のためだけにするのは、勿体ないと感じたからです。

何も30代、40代の方に終活のための身辺整理を薦めるているわけではありません。

既に書いてきたように、エンディングノートを作る最大のメリットは過去の自分を振り返る機会が得られることだからです。

エンディングノートの最大のメリットが、過去を振り返る一つの「きっかけ」を作ることにあると思えば、何も年齢、あるいは年代で縛る必要はないんじゃないかと思った訳です。

例えば、30代の終わりで幼少期からの人生を振り返ってもいいでしょうし、そこまでしなくても30代の10年を振り返ってみる、あるいは30代でやり遂げたこと、逆にやり遂げられなかったことにフォーカスして振り返ってみるということもありでしょう。
人によっては、仕事に集中したこと、アイドルに夢中になったことなどなんていうのもいいと思います。

10年間の間に結婚した、子供ができた、家を持った、転勤になった、転職した、海外旅行に行ったなど色々な出来事があったと思います。

あるいは、10年という期間としての考えの他に趣味で何かに没頭した、毎年国内旅行に行った、海外旅行に行った、有名なものを食べ歩いた、ご朱印状をいっぱい集めたなどでもいいのです。

用意するもの

1)最初は、まず振り返るべきもの・テーマを決めましょう。

2)次に関連する出来事を年表にまとめてみましょう。
  その際に、直接関係はない事項(身の回りの出来事や社会の出来事)も付記しておくと後々役に
  立ちます。

テーマを絞ってそのきっかけからやってきたことをやはり時系列でまとめてみるのです。

若い時、あるいは経験したことからあまり時間が経過していないタイミングでこうした出来事をまとめることのメリットは、次のような点にあると思います。
 ・記憶が鮮やかに残っている(しかもカラーで。年を取ると白黒になります)
 ・手元に写真が残っている(年を取るといつの間にか無くなってしまいます)
 ・手元に写真以外の記念品等が残っている(年を取るとほとんど残っていません)
 ・友達と何かをやった場合、その人の写真、言葉、思い出も残せる
  (年を取ると友達が行方不明になり、連絡がとれません)

3)3番目に用意するものは写真やビデオのデータです。

基本的には、この3つが用意できれば自分史の事前準備は完了です。

映像記録の整理

普段はインスタグラムに写真をアップしている人であれば、そのアップした写真も自分史という意味で貴重な資料になります。

インスタグラムをやってなくても携帯に写真をいっぱい残している人はたくさんいると思います。

でもその写真をいつか整理しようと思っていても結局何もできないまま、写真だけがパソコン等に溜まり続けるという結果になってしまいます。

私も子供たちの小さい頃の写真やビデオが沢山残っていて、再生機器がなくなる前に一部はパソコンのハードディスク(HDD)に保存しましたが、全部はまだ整理できていません。
(HDDの画像等のデータは念のためDVDに落として別途保管しています。)

話はそれますが、自分自身の昔の写真はアルバムに貼ってありますが、だいぶ前にネガが取ってあるものはネガをスキャナーで読み取ってパソコンに保管しました。

ネガのないものはまだデジタル化してませんが、今の時代できればできるだけデジタル化しておいた方がいいと思います。

それでもパソコンにあるだけ、まだ見ようと思えばいつでも見れますが、パソコンにないものはどうにもなりません。(いつか再生機器のないテープをDVDに焼いてくれる業者に頼みたいと思っていますが)

大半のご家庭でも、子供が生まれてから幼稚園、小学校、まぁ中学校の卒業式ぐらいまではビデオなどに残しているでしょうが、大半はテープ、あるいはHDDそのままで保存しているんじゃないでしょうか。

この際、写真やビデオの記録整理を兼ねて、夫婦で協力して、子供の「生まれてから幼稚園まで」、「小学校時代」といった形で家族史を作ってもいいのではないでしょうか。

これも立派な自分史の一部になりますし、子供が結婚する際などにも持たしてあげられれば子供も喜ぶのではないでしょうか。

子供の成長とともにあなたがどれだけ成長したのか、それは自分史の方に残せばいいのです。

子育て中の方は

子育て中のママの中には、育児に追われてパパ以上に自分の時間がないという人もいるでしょう。

自分の髪や服装に気を遣う時間もないのに、自分史なんと無理だと。

下に書いていますが、時間がとれないという人は、手帳やカレンダーなどに毎日1行でいいので、その日の出来事を書き残すようにしましょう。

携帯で写真を撮っておくのも大事ですが、何の記念写真かわからなくなる可能性があるので、記念写真を撮った日は、手帳に何の記念日か書いておいたほうがいいです。

子供が初めて歩いた日、初めてしゃべった日など一言残しておくだけで大切な思い出になります。

自分で作ったもの、購入したものでも、永久に残るということはないでしょう。
料理がいい例でしょう。
気に入った料理ができた時に写真やビデオに残し、できればハードディスク(HDD)に保存しておけば
後々見直しができます。
ただ、料理の画像は残せても、レシピは文字にしておかないとわからなくなってしまいます。
幼い我が子が作った作品なども、最終的にはデジタル化して残すと決めておけば現物は残せなくてもいい
思い出はいつまでも残ります。

最大の問題点は時間がないことでしょう

メリットはもっとあるかもしれませんが、逆に大きなデメリットというか障害は「時間が取れない」ということではないでしょうか。

若い時は朝から晩まで仕事に追われ、家には寝に帰るだけ、土日も半分は寝て体力の回復を図る時間だけで精一杯。

残った時間は、友達とお酒を飲んだり、好きなことをしたり、あるいは家族と過ごして終わりという生活を送っている人が大半でしょう。

優先すべきものがあって、自分史を作るという時間まで確保するのは難しいと思うかもしれません。

でも幸いというか(業種によってはとんでもない大惨事ですが)、2020年からのコロナ禍で比較的時間にゆとりができた人も多いのではないでしょうか。

今後コロナワクチンが普及しても、完全に以前の生活には戻らないと思います。

時間にゆとり確保できたのであれば、まずはやりたいことをやるのが一番です。

でも、少しの時間を自分を見つめなおす、内省する時間に充てることにより、自分の内面を、精神を豊かなものにできるいい機会なのかもしれません。

時間は作ろうと思わなければ作れないものです。

基本的に、人はできない理由を探しがちです。「時間がない」、「忙しい」、「資源が無い」等々

「やろう」という気持ちに切り替えれば、できない理由は障害ではなく、工夫して乗り越えるものになります。

これからの時代は昭和、平成と違い、個々人がより精神的なものに価値を置く時代になるような気がしています。

自分自身を深く見つめ直すいい機会ではないでしょうか。

過去が未来への指針につながる

「過去の自分を振り返ってばかりじゃ」しょうがないじゃん、と思われるかもしれません。

「将来に向けて強烈にやり遂げたいことが今ある」という人はそれを一生懸命やればいいと思います。

でも、何となく日々日常に流されている人が殆どではないでしょうか。

「過去を振り返ることによって、自分の進むべき方向見えてくることがある」と思っています。

歴史は繰り返す

我々が歴史を学ぶ理由はいくつもあるでしょうが、大きな理由の1つは自分の国の歴史を知ることにより、民族としての由来や独自性(アイデンテティidentity)を形成することにあります。

ただし、歴史を学ぶ意義はそれだけでなく、過去の出来事から何故それが起きたのか、結果としてどうなったのかといった経緯や因果関係を経験・教訓として知ることでもあります。

歴史は繰り返す
歴史は繰り返す

歴史は繰り返す」という言葉があるように過去に起きたことは100%全く同じではないにしろ、ほぼ似たようなことを我々は有史以来繰り返し経験してきました。
 (個人的には、歴史好きということもあり、過去の出来事を知識・教養として知ることも非常に楽しいですが。)

人生と同じように、良いことであれば、良いことが続くように経験・教訓を生かし、過ちがあれば、その過ちを繰り返さないように経験・教訓を生かすことが歴史を学ぶ重要な点の1つです。

ここで大事なことは、最近の身近な経験・教訓であれば、実際の経験として生かすことができるでしょうが、歴史上の多くの出来事は色々な人が書き残した文書から構成されているということです。
中には、旧習や伝承として口伝(くちづたえ)として伝わっているものもあるでしょうが。

現代では、映像という手段も付加されてますが、いづれにしても記録として残されているから経験・教訓が長く生き続けている点です。

歴史を学ぶことのいい例が戦争でしょう。過去にどういう経緯があって戦争になって行ったのかを学ぶことが、戦争を繰り返さないための歴史の役割の1つだと思います。

記録を残すこと 

我々個人にも同じことがいえます。

何か成功体験があれば、それを生かし、逆に失敗したこと、後悔していることがあるのであれば、同じ過ちを繰り返さないために、今からどうすればいいのか。

経験を感覚として覚えているということは大事なことですが、忘れてはいけないことは、その経験がどういう経緯でどう経験したのか(いわゆる5W1H)の記録があれば、次に同じことをやろうとするときの参考にもなります。

成功経験にしろ、失敗経験にしろ、記録が残っていればそれを後に生かすことも可能になります。

自分のことであれば分析まではしなくても事実が記録されてさえいれば、後でいろいろ思い返し反省することもできるでしょう。

人は同じ過ちを繰り返します。何度も繰り返します。

同じ過ちを2度としない人もいるでしょうが、大半の人は同じ過ちを繰り返します。

それは1つには時が経過するに連れ、いつの間にか自分がやった過ちの記憶が薄れてしまう、忘れてしまうということにあります。

さらには、そもそも過ちを過ちとして認識できていない場合もあります。

しかし、自分史という記録が残って入れば、見返すことにより記憶を呼び覚ますことになるでしょうし、過ちを過ちとして認識できていない場合、自分史を見て「同じようなことが過去に何度もくりかえしているな」と自覚できれば、それが気付きとなり次からは同じことをしないようにできるかもしれません。

自分史を残す時の最大のデメリットは「時間がかかる」ということであり、それを差し引いても自分史を作ることは自分の歴史を残せるほかに、自分の内面をより深く掘り下げることができることにあると思っています。

今からでも、過去の出来事を振り返り、記録してみる価値があると思いませんか。

過去を振り返ると、きっと反省すべき点が見つかるとともに、やり残したことや、やりたかったことが思い起されるでしょう。

やり残したこと、やりたかったことが見つかって、そのことについて今でも思いがあるのであれば、それはまだやる価値のあるものではないでしょうか。 

過去を見つめることが、未来につながる可能性の一端を見せてくれるかもしれません。

自分史を作る主なメリットとして、①過去の過ちなどの気づきを与えてくれる、②今後(将来)すべき
ことが見えてくるということがありますが、本サイトでは基本的に②に着目しています。

例、試験について

例として、試験がわかりやすいかもしれません。

過去に目指していた資格試験に落ちたことがあったが、今はもうすっかり忘れていた、とします。

そのことを今回か書いた自分史の中で思い出した。

あなたはどう思うでしょうか。

今からでもいいから再チャレンジしたいと思うか、もう過ぎた過去のこととして済ませられるかは、人により状況により違うでしょう。

考えた結果、今からでも再度チャレンジするという結論が出れば、それはあなたにとってはやる価値のあることではないでしょうか。

逆に、もう過去のこと、興味もないやという場合もあるでしょう。

それはそれとして、自分史の中にそういう試験にチャレンジしたという記録が残せればいいのではないでしょうか。

時が経ち、20年後、30年後に自分史を読み返したときに、ひょっとしたら再チャレンジしたくなるかもしれませんが、それはその時に再チャレンジすればいいだけの話です。

30代の自分史を残した時に、その資格を本当に取れなかったのが悔しかったと思うのであれば、その時点で未来に向けてすべき1つのことが見えてきたことになるのではないでしょうか。

「歴史は繰り返す」というと大げさですが、人は時が経過しても性格というか嗜好は結構変わっていないものです。

 本屋で興味のある本を買って帰ったら、本棚に既にその本があった。
 (読んだことを忘れ、新しいものと思って再度購入してしまう)

 あるいは、気に入った服、カバンがあったので購入したが、既に同じようなものが家にあった。
 (家族から何で同じようなものばっか買うのと言われるが、本人はその意識がなかった)

これと同じように、過去にやろうとしたけど、できなかったことがあぶり出されると、意外と再チャレンジしてみたくなるものです。

全く新しいことを始めるのも非常にいいことで、そうした好奇心は大切にすべきだと思います。

新しいこととを始めるのと、再チャレンジするのでは、どちらを優先するかと問われれば、一番はどちらがより自分にとって有益かが判断ポイントだと思いますが、仮にどちらも同じ有益さだとしたら。

私は「新しいことを始める」を選択するでしょう。

新しいことを始める方が好奇心をより満たし、脳を刺激し、生き生きできるからです。

好奇心も湧かず、何となく過ごす日々が続いているというなら、試しに自分史を作り始めるのは意義のあることだと思います。

私が考えるエンディングノートは、こうした未来のことを考える「きっかけ」を与えてくれる一つのノートだと考えています。  

 日記について

日記をつける

日記を付けていれば、自分史の代わりになると思うかもしれません。

日記は日々の出来事を詳細に書けるし、その時の自分の気持ちもストレートに書けます。

日記は自分史の一次資料として最も大事なものと言えるかもしれません。

でも、日記は自分史ではありません。

自分史は日記よりも大きな時間軸の中で記述します。

昨日何があった、今日はこれしたとか言うものではなく、例えば1か月、数か月、1年、数年といった単位の中で、自分というものを客観的に記述するものです。

その日の出来事や気持ちを記述をするのが日記であり、その日記を下敷きに「あの時はああ思ったが、後から考えるとこうだった」と一歩外から客観的に自分を眺めて記述するのが自分史と言えるかもしれません。

年表のようにトピック的な事実を時系列で表したものも簡単な自分史と言えるでしょう。

年表では表せない事実や気持ちを加味してある出来事を一つの文章にしたものの連続が自分史と言えるかもしれません。

そこに写真や世相などをさらに加味していけば、本当に自分だけのノンフィクション史が出来上がります。

日記に限らず、手帳に日々の出来事を一行書いておく、カレンダーにイベントを記入しておく、そういったものを資料として残しておけば、世界に1つだけの自分史を書く立派な材料になります。
ただし、保存しておかなければ意味がありませんが。

「昨日何食べた」と聞かれても思い出せないとよく言われますが、1週間前、1か月前の出来事や自分の行い、発言など覚えていないものです。

 最後に

現在、提供しているエンディングノートは3部構成(基本編、財産編、介護〜葬儀、遺言編)ですが、それを高齢者以外でも活用できるようにしたいと思っています。

エンディングノート(もっと適切な名称があればいいのですが)を、30代用、50代用とか年代ごとに作ろうかとも思いましたが、エンディングノートの各要素(エクセルシート)はいつの年齢で使うかはそれぞれの人によって異なるでしょうから、年代ごとは無駄だと思いました。

それよりも、今のエンディングノートをより充実させるとともに、使いたいシートを自分で組み合わせて自分だけのエンディングノートを作ればいいと思うようになりました。

要は、エンディングノートを各要素のコンポーネントと捉えて利用すればいいという考えです。

若い人にとっては、「介護〜葬儀、遺言編」はまず要らないと考えましたが、人によっては30代でも一人っ子で代々の墓は親元の地元にあるという人もいるでしょう。

そんな人にとっては、早い段階から親と将来のお墓の在り方を考える契機にもなるかもしれないと。

高齢になってから一生分のエンディングノートを作ろうとすると、時間もかかるし、記憶もあやふやです。(ある意味、いい思い出の部分しか書けないかもしれません)

でも、若くて、かつ出来事が新鮮なうちに自分の歴史の一コマとして自分史を作っておけば、将来自分史の全体像を作りやすくなるでしょう。