3_股関節の悪化

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中学生の股関節の手術の時に、先生から「大事に使わないと30年後くらいに人工股関節にしないといけないかもしれないから、注意するように。」言われました。

両足が悪いこともあり、足は自分なりに大切にしてきたつもりですが、40歳前後のころから股関節あたりが痛み始めいくつかの病院にかかるようになりました。

病院をいくつか回ったのは、相談していた先生の言うことに納得できなかったからです。

今思えば、身近で大きめの整形外科のある病院を受信していましたが、股関節なら股関節を専門とする先生のいる病院を探すべきでした。

何の病気かわからないならば仕方ないですが、原因が分かっている(例えば、ガンだとか内蔵の腫瘍除去だとか)ならば、専門家を探してみるべきです。

セカンドオピニオンを受けるにしても、単なる一般外来で受けるべきではなく、相応の専門家を探してみるべきです。

戻りますが、40半ばで股関節に石灰化したものがあるので、それを除去するという手術を受けました(内視鏡手術)。

その後、転職したのですが転職先で激務が続き、股関節が明らかに悪化していくのが分かりました。

しばらくして、激務から解放はされましたが、一度悪化した股関節はよくならず、日を追うごとにというと言いすぎですが、月を追うごとに悪化していくという感じでした。

そのうち通勤時に杖を使わないと通勤できない状態となり、もう人工股関節にしないとダメかなと感じるようになりました。

股関節が安定していないため、駅で立っていても安定感にかけ、いつ転ぶかという不安が続きました。

2009年に長期間もつ股関節の手術をするという病院を見つけ、翌2010年の2月の初めに手術を受けました。

これが結果的に失敗で、今回の再手術をする原因となりました。

最初の手術

人工股関節の手術は、自宅から大分離れた病院で受けることになりました。

事前の話では、1か月で退院できるという話でしたが、実際退院したのは5月の連休中でした。

1か月の入院ということを意識して、大量の本を持ち込みました。

大部屋ですが、私のベッドの周りは本だらけという状況でした。

手術当日

手術前のことは、よく覚えていません。

手術後は、病室ではなく、備品庫というか術後の専用部屋みたいな部屋に入れられてました。

麻酔から目が覚めると、兄と妻がそばに立っていたのを覚えています。

とにかく痛くて痛くて、「痛い、痛い」と一晩中言っていた気がします。

だから、病室には戻されなかったんでしょう。うるさくて他の人の迷惑になるから。

一晩中対応してくれた看護婦さんが「痛み止めはさっき使ったから、後一時間は使えない」と言ったのを覚えています。

不思議なもので、翌朝になったら全く痛みは消えていました。

それから、元の病室に戻されました。

脱臼

術後は、足が動かないように固定されますが、数日すると少しは動かしていいと言われました。

長い時間固定されていたので、やはり足を動かしたくなります。(少しか動きませんが)

確か、夜中に寝たままの姿勢で左足の膝を立てるようにしたら、急に膝が外側に倒れる感じとなり、なんか違和感を感じました。

特段痛みは感じなかったのですが、「なんか変」という感じ。

ナースコールを押して、看護婦さんが来て、その後宿直の先生も来て、「脱臼」と診断されました。

夜中のため、とりあえず足を錘で引っ張るという応急処置をしてもらいましたが、段々痛みを感じてきたのを覚えています。

翌日は休日ということで、レントゲン技師に出てきてもらうように手配し手ました。

肩とかの脱臼は整体師などが「エイヤッ」って直すのを見たり、聞いたりしますが、股関節の場合はレントゲンを撮りながら足を引っ張って治します。

先生が、「これから子供を産む予定のある人は出て行って」と看護婦さんに言って、何人かの若い看護婦さんが出ていきました。

レントゲンも通常のカメラのように一瞬の撮影ではなく、おそらく動画のようにレントゲンで常時股関節の状態を映しながら脱臼を治すのでしょう。

そのため、放射線の被ばく量が半端ないので先生の発言になったのでしょう。

当然残った看護婦さんもいましたが、どういう人が残ったのか覚えていません。

50歳過ぎで今更子供を作る予定のないおじさんだからいいようなものの、もしこれが若い女性患者だったら股関節に大量のレントゲンというのは問題なので、何らかの配慮をするんでしょうね。

私の場合は、全く何の配慮もありませんでした。

この脱臼のせいで1か月での退院が3か月間もの入院する羽目になった根本原因だと当時は思っていました。

水中ウォーキング

退院後、1か月間は自宅療養ということで自宅周りの散歩と水中ウォーキングで体力増強に努めました。

プールには老人が結構いて、ほとんどの人は水中ウォーキングをしてました。

毎日のように通っていると少しは顔なじみになり、プールのなかですれ違うと挨拶ぐらいはしますが、皆さん寡黙で淡々と歩いてました。

もう10年たつので、あの人たちの殆どはもう居ないんでしょうね。

10年後は我が身のような気もしますが。